2017年12月22日金曜日

働きは何か

牧師の働きは様々あるし、一人ひとりに神様が与えてくださっている働きがあると思っています。だから10人いれば10通りの働きがそれぞれに与えられています。
それは牧師に限らずすべての人に言えることで、一人ひとりがそれぞれに神様から与えられている働きがあります。
人はそれを影響力があると賞賛するし、その逆もあり得る。けれども、本当にその物差しは正しいのだろうかと思うのです。
わたしはそう思いません。

神様はその人にそれぞれの力に応じて、神様からの賜物を与えてくださりながら、一人ひとりが大切な神様の働き人としてくださっているからです。
マタイによる福音書25章15節に
それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。」
と記されている通りです。
それを人は杓子定規な考え方で偉大だともてはやしたり、つまらないと吐いて捨てます。
しかし、一つの家族の母として生涯を送ることも、一国の宰相として勤めあげることも、神様の目には貴く大切な働きなのです。

そして何よりも忘れてはならないのは、私たちが与えられているすべての事がらが「それぞれの力に応じて神様の財産を預けられた」ものであるということを忘れてはならないということです。
近頃の人たち(特に政治に関わる人たち)はそれを甚だ逸脱して忘れてはいまいか。
政治家とは、国民によって選ばれた代表のはずです。その国民を置き去りにして、自分が有している権力を振りかざして、おざなりな発言を繰り返し、なおざりな働きをしているようにしか思えないのです。
そして、それは社会全体にも浸透しているように思います。

キリスト教だからそういう考え方をするのだということではありません。そうでなくとも、自分が与えられている能力や、人脈、働きを自分の所有物だからと言って勝手気ままに自分の幸福のために使うことの愚かさを心に留めてほしいと思います。
それは本当の自由ではありません。
本当の自由とは、自分に与えられたすべてをもって他者を生かすことです。

イエス様はその模範です。ご自身のみ力を決して自分の満足のために用いませんでした。
腹を空かした人のために、病を抱える人のために、悲しみ、嘆いている人のために、涙を流している人のために、怒る人のために、驕り高ぶる人のためにご自身の力、命を用いました。

ですから働きとは何かというならば、それぞれに与えられた働きを通して他者を生かすことです。その模範であるイエス様がお生まれになるクリスマスを間もなく迎えます。
自戒を込めて最後に皆さんにお伝えしたいことは、なぜイエス様がこの世にお生まれになったのかお一人おひとりがご自身に問いかけ、自分に与えられている働きは何か、そしてそれを本当に他者のために用いているか自問してみてくださればと思います。



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