2018年1月11日木曜日

ハタチの君へ

成人の日を迎えましたが、ハタチを迎えた皆さん成人おめでとう!

私はもう12年前の事。ということは今年の新成人は丑年️!そりゃ私と干支が一回りも違えば私もおっさんだわと感慨と哀愁を感じておりました。

何がめでたいのかとふと考えてみると「めでたい」ってのは愛でても仕切れないという意味があるわけなので、そういう意味を込めるならば、ハタチを迎えたみんなの存在そのものが神様にとって、とても愛おしいなのだから「めでたい」のだとふと考えてみたりします。

まぁ講釈は良いとして、ひとつハタチを迎えたみんなにみ言葉を贈ります。

エフェソの信徒への手紙5章 17節
「だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。」

「無分別」とは口語訳だと「愚か」と訳されています。では何が愚かなのか。
それは全体を俯瞰しないで短絡的に、その場の雰囲気や見えてるモノにしか目を向けずに生きてしまうことだと思います。
一方で神様の視点は、初めから終わりまでを俯瞰し、見通しておられます。そして、その人、その時に相応しい恵みをくださっています。

この文書をたまたま読んだみんなはそんな神様の視点、御心、恵みを色々な事がらがあるのだということを知らされた一人です。
どうぞこれからの人生「主の御心が何であるか」という事を大切にして歩いて行ってください。
今、ここに働く神様の御心は何なのか、そしてそれはこれまでと、これからにどのように作用するのか、その中で私はどうあったら良いのか、周りの人がどうあれれば良いのか。
考えることは沢山あります。
これまではオトナが守っていてくれたこと、目をつぶっていてくれたことも、そうでなくなります。
熟慮しながら、そして何よりも神様に聴く心を持って過ごしてほしいなと願っています。
もちろんこれからハタチを迎える十代の人も、既にオトナのみんなにも言える事と思います。

改めて新成人神様の祝福が豊かにありますように!