2013年5月24日金曜日

「やらない」より「やる」 某塾講師風に言うならば「今でしょ!!」

私の個人的な宣教の課題として、青年伝道ということがひとつ挙げられる。
牧師になってまだ2年目だが、本当にありがたいことにルーテル教会次世代育成プロジェクト(The Next Generation)が主催する小学5,6年生のこどもキャンプ、中高生が集うティーンズキャンプなどにスタッフとしてかかわらせていただいた。
また、私が司牧する下関教会は、地域に梅光学院、西南女学院があるため、そこに通う生徒たちが比較的集まりやすい。
しかし、この関わりの中で一年で洗礼に導かれたり、洗礼の準備を始めた子どもたちは居ない。数の話ではないが、やはりこのことは真剣に受け止めていかねばならないだろう。

前者の各キャンプについては、ほとんどの子どもたちが既に洗礼を受けているため、その信仰の学びと強化ということが、主な狙いである。もちろん、未受洗の子どもたちも参加し、このキャンプによって洗礼に導かれていったという例もある。

後者のミッション系学校の生徒については、おそらくほとんどの生徒が、学校の宗教の授業で教会に行ったことのハンコが必要、レポート提出のためといった具合であろう。
もちろん、そういう課題を出されてちゃんと教会に来てくれるのだから、素晴らしいことであるし、その学校が大切にしている事がらをより理解するために必要な働きかけであろう。
そして、中にはそこから自発的に毎週通ってくれるようになった子どもたちも与えられている。

私は、正直言ってこの子どもたちに応えられているのかという課題が、個人的にある。
キャンプに集う子どもたちも、教会に集う子どもたちも、言ってみれば、授業で先制や教会の人に「行ってみたら」という言葉はあったが、最終的にそこに集うか否かは、彼らの自発性、自主性にかかっている。

そのようにして、自発的に、自主的に来てくれた子どもたちが、神様とは、イエス・キリストとは、聖霊とは何かということに心を向けてとらわれるようなメッセージを語り得ているか。問いかけられているか。
これは、非常に大きな問題だ。

受け皿としての役割を果たし、子どもたちにキリスト教を伝えるということのむずかしさを痛感する。青年伝道と一言で言っても様々な方法があることも知った。
だが、その中から何を選び取り、実践していくかということが自分の中でまだ決めかねている。
しかし、昨今のキリスト教の事情から考えるならば、次世代への信仰継承は急務である。
個人的にはまだ時間がかかることであるが、その中で諦めて何もしないよりも何かをやり続けることを忘れずに継続してこの課題と向き合っていきたい。

そして、子どもたちに福音を語り続け、そこから神様の招きを受け、洗礼へと導かれる子どもが一人でも与えられるようにと祈りに覚えていきたい。

マタイによる福音書19章14節
「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」

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