2013年6月16日日曜日

牧師として

今日は、私が牧師として働かせていただいている中で大切に思っていることを一つここに記したいと思います。

それは私が敬愛する先輩牧師にもらった言葉です。この言葉がわたしの牧師としての在り方の根底として、生き続けています。

「みことばのみが確かに信徒を育てます。牧師はみことばが働くことに仕えるのみです」

牧師として、召しを与えられているということ、それは、みことばが働くことに仕えるということであると、私は受け取っています。

時として、自分は何が成せるだろうか、何を成し遂げただろうかということに、心がとらわれそうになります。けれども、この言葉は、その思いを打ち砕いてくれます。

自分が成し遂げたことではない、私を通して神がみことばを働かせてくださるということです。
そこに信頼して、召しに応えるということです。

神さまが私にみことばを働かせて、なすべきことをなさしめてくださる。そのことに信頼して行ければと強く思います。

このことは、何も牧師だけでなく、すべての働きについていえることであると思います。会社員であろうと、教師であろうと、専業主婦であろうと、学生であろうと、そこに働いてくださる神様のみことばに生きることが大切です。

そのために真剣に神様のみことばに聴いていくということも必要です。
それは、祈りを伴うということです。祈りによって神様と対話していく、自分の思いや、どれだけ成し遂げて来たかという思いを捨てて、「あなたの御心は、御旨はなんでしょうか」と聴いていくことであると思います。

この先輩牧師にいただいた手紙を私はデスクの壁に貼ってあります。
いつでも、そのことを思い起こしながらこれからもこの下関・厚狭の地で宣教に励んでいきたいと思います。

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